ご案内
現在の自転車は、我われが足でペダルを回すと、足の動力が歯車とチェーンを介して後輪に伝えられていますね。
当時の自動車も同じように、チェーンを使ってエンジンの動力を車輪に伝えました。
ところが長い時間カタカタ走っていますから、そのチェーンが切れてしまう。
そこでスエーンとスポークが使われている)蒸気自動車です。
切れたチェーンを現場で修理しなければなりません。
これは一人ではすばやくできません。
それで熟練した機械工がついていて、チェーンが切れれば、ちゃんと修理用の道具をもっていて、一生けんめいにつなぐのです。
だからむしろ機械工の腕がよければ、自動車は速く着くようなものなのです。
それから、自転車と似たような車輪のスポークがあった。
ところがボディーが重いから、石などに乗り上げると、このスポークが折れてしまうのです。
もちろん車は止まってしまう。
またまた修理。
要するに自動車競争と言っても、修理工場が走っているようなものだったのです。
ガソリン自動車の覇権が確定その翌年に、フランス自動車クラブが結成されました。
これが実は今日レースを主催するグランプリの組織の始まりです。
このフランス自動車クラブが直ちにパリーボルドー。
ボルドーというのはパリの南西にあります往復七三二マイル、つまり一一七八キロメートルを一〇〇時間の制限のなかで、さまざまの車で競争させようということになったのです。
「さまざまの車」というのは、なにしろオートバイまで含んでしまっています。
オートバイもガソリン自動車も蒸気自動車もいっしょに走るのです。
その蒸気自動車も、要するに走れればいいのだから、蒸気バスみたいなものも参加しています。
蒸気バスとオートバイとが競争しているというのは珍風景ではあるけれども、当時のレースは、そういうものだったのです。
二二台が走りだしましたが、一〇〇時間内に到着したのはわずかに九台。
ガソリン自動車が八台。
そして蒸気自動車が一台。
四馬力のガソリン自動車であるパナールールヴッソール車が二位に六時間以上の差をつけ、約四九時間で走ってゴールインし、蒸気自動車がビリ。
前年とはうってかわった状態になったのです。
つまりガソリン自動車の信頼性が明らかになったのです。
この年に現在のガソリン自動車の覇権が確定しました。
蒸気自動車はだめだということになったのです。
蒸気自動車ですと、蒸気機関の構造からいって、どうしても回転数が上がらない。
したがって車輪が速く回らない。
当時は一分間三〇〇回まわるといっても大変なことでした。
蒸気機関車は大きな動輪をもっているでしょう。
あれは回転数が少ないからです。
大きな動輪によってスピードをかせぐのです。
ガソリンエンジンは蒸気機関よりもはるかに回転数が高い。
はじめてダイムラーがガソリンエンジンを発明した時に、すでに一分間に八〇〇回転の成績をあげています。
もっとも、速度記録をめざした蒸気自動車では、改良をかさねて、蒸気機関の回転数を上げ、一九世紀末に一分間一〇〇〇回転に達しました。
ガソリンエンジンのほうも改良をつづけ現在では一分間に四〇〇〇回転、五〇〇〇回転ぐらいごく気楽に出せます。
アイドリングの状態でいっても七〇〇回転ぐらいでしょう。
どちらにしても蒸気自動車には、どうしても速度のうえで限界があるので、それでガソリン自動車が勝ってしまいました。
レース中のパンクの修理自動車でもう一つ当時非常に問題になったのは、タイヤです。
二〇世紀初めになりますと、空気入りタイヤをつけた自動車が、レースにも出場するようになりましたが、そのタイヤはしきりにパンクしました。
そのたびに、タイヤを交換したり修理しなければなりません。
しかもその修理も、いまとは違う。
タイヤ交換のときにタイヤのリムータイヤの内側の金属の輪の部分−は、いまは周りのゴムタイヤといっしょにそのままはずせるでしょう。
当時は、あれが車軸に固定していました。
それで上のゴムタイヤだけをはずす。
これは大変手間がかかります。
現在でいえば、パンクの修理屋さんはリムからまず回りのゴムをはずして、中のチューブを取り出して、チューブに穴があれば埋める七、埋め切れなければチューブ自身をかえる。
そしてチ、ユーブを中に入れて少しふくらまして、それをリムにかけて、改めて空気を入れる。
そういう面倒な作業を、レースに参加したドライバーたちは、夢中になって何度もやったのです。
タイヤ交換がようやく楽になったリムを車軸に固定させないでタイヤとリムがくっついたままはずそうという発想は、二〇世紀の初め、一九〇六年に第一回グランプリレースが行われた時に、やっと実現したのです。
さっき話したように、最初のレースはオートバイも蒸気バスもいっしょに走ろうという変なレースですが、それからあとはだんだんランクづけをして、いくつものレースに分けるようになりました。
たとえば気筒容積で分けるとか重量で分けるとか、それらのランクごとにレースをやり優勝を決めるというふうになるのですが、各国の自動車クラブが連合して国際的な規約をつくってレースを始めたというのは、一九〇六年のことです。
このときに第一回グランプリレースが行われました。
このときのレースではルノーという大きな車が優勝したのですが、優勝の大きな原因は、その大エンジンによるよりも、タイヤにあったのです。
ルノーは現在と同じように、リムにタイヤをつけたまま車軸からはずし、予備のリムつきタイヤをボルト、ナットで車軸にしめつけて、パンクしたタイヤを交換したのです。
ほかの車はそれまでどおり、パンクタイヤの修理屋さんと同じようにパンクを修理していたのですから、ルノーのパンク処理の速さには、とてもかないませんでした。
現在の自動車レースでもタイヤを交換しなければならない場面が出てきますし、トラブルが起これば、熟練した機械工がみなければならない場合もあります。
その時間が長いか短いかで勝負が決まるということは現在でもありますが、二〇世紀の初めのころはこれが決定的な問題でした。
ところが、いまはめったにパンクをしませんが、少し前までは、パンクをするたびにジャッキでボディーを持ち上げ、リムつきタイヤを交換して、ああめんどうだと思っていたものです。
それでも昔のドライバーからすれば、それはまるで天国のように楽なことだったのですね。
家庭電化とモータリゼーション時がたつにつれて、自動車はだんだん現在の車に近くなってくるのですが、第一次世界大戦の初めの車で、なお決定的に現在と違うところは、バッテリーがないことです。
まだ車が電化していないのです。
いま車が非常に使いやすくなったのは、電気関係のしかけのおかけです。
第一次世界大戦が終わって、アメリカでは自動車がどんどん普及し始めました。
今日、日本の多くの人が家庭電器製品や車をもっているように、第一次世界大戦後、一九二〇年代のアメリカでは、家庭電化、モータリゼーションが非常な勢いで進みました。
そしてこの家庭電化とモータリゼーションは非常に密接な関係があります。
家庭電化がなぜあの時期に起こったかといえば、小型のモーターが大量生産できるようになったからです。
それまでも、電気掃除機、電気冷蔵庫、電気洗濯機などはすでに存在していました。
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